午前9時44分。
大好きなばぁばが天国へ旅立ってしまいました。
6月の終わりに入院して、その日に手術。
やらないと2日もつかわからないけど、元々体が弱っているため手術自体にもリスクがあると・・
それでも1日でも長くと手術してもらうことに。
手術室に行くまでは普通に会話ができていたのに、手術が終わってからは一度も目を覚ますこともなく・・
7月7日 七夕。
6日の夜にばぁばが夢に出てきました。
夢の中ではとっても楽しそうにしていたのに、夢から覚めた自分はなんだか胸騒ぎがして・・
それから約1時間後、容態が急変したと電話が。
先生も一生懸命心臓マッサージをしてくれていましたが、最期には間に合いませんでした。
自分が大須賀で働きだしてから毎日毎日一緒にお昼ゴハンを食べて、あーでもないこーでもないと毎日毎日いろんな話をしました。
1日のうちのたった45分だったけど、何よりも楽しみな45分でした。
このために仕事に行ってるようなもんだった。。
一緒に住んでたわけではないけど、子供の頃からおばぁちゃん子でばぁばがいなくなるなんて考えた事もなかった。
それでも10数年前から体が弱くなってきて、透析をやらなければあと3ヶ月。
と言われて初めて真剣に自分の中でばぁばがいなくなった時の事を考えるようになりました。
あぁしてあげてればよかった、ここ行ってあげればよかったと後から思わないように、一緒にいられる時間をとにかく大切に。
だからこれがばぁばの最長の寿命であるなら、過ごした時間や話した言葉が足りなかったという気持ちはありません。
やってあげられることは全てやってあげられました。
お通夜もお葬式も、いられる時間はずっとそばにいてあげられました。
たぶん家族よりも親戚よりも、誰よりも長く一緒にいることができました。
ただひとつだけ悔いが残ってるとしたら、自分の結婚式に出させてあげられなかったこと。
これだけです。
これだけは自分一人の力じゃどうすることもできなかった・・ごめんねばぁば。
今日でちょうど1ヶ月。
悔いは残ってないっていってもやっぱ辛いね。
ばぁばに手を合わせてるのが今でも信じられません。
ひとりぼっちのお昼ゴハンもやっぱ寂しい・・
もう一緒にテレビ見て笑う事もできない。
ばぁばが作ってくれるおそうめん食べることもできないね。
わたしがおそうめん好きだから、2人しかいないのにいっぱい茹でて待っててくれて・・
考えるとやっぱり涙が出ちゃう。。
けど、もう楽になったかな。
イヤだった透析にも行かなくていいし、会いたかったじぃじにもきっともう会えたね。
もしかしたら七夕に、じぃじが迎えにきたのかも。
今まで離れてて話せなかったこと、いっぱい話しなね。
ばぁば・・今までありがとう。
たまにはじぃじと夢に出てきてね。
1ヶ月経って、やっとアップできました。